無欲とは目的か手段か
楽しくて始めたはずのブレイクダンスがいつしか悩みのタネに
バトルの勝敗に悩み、オリジナルの定義に悩み、煩わしい人間関係に悩む
悩みの末に辿り着く、自分なりの答え
ひたすら初志を貫徹し、数字の螺旋を上り詰めるという答えを出す人もいれば、途中で無欲を悟る人もいる
思うに、ほとんどの凡人は後者に流れていくものだ
他ならぬ私自身も、人と比べる事への価値を途中から見出せなくなった一人
しかし、この無欲というのが実にハリボテなホワイトの看板で、時間とともに日焼けで黄ばみ、錆びて茶黒くなっていく
さらに時間をかけて風に晒し続けると、今度は地の素材まで露わになってくる
これしか残せなかった、むしろ残れなかった、という状態になるまで風雨に晒し続けると
今度は残った素材から、質素だが本質的で、素朴だが力強い雰囲気が香り始める
目と鼻の先にあるようで、鏡では見る事のできない、初めて気付くありのままの自分
無欲とは、全てに価値を見出さない廃人のような境地を目指すのが目的ではなく、自分自身含め身の周りの全てを、ありのままの姿で受け入れる事の出来る状態に至る手段のようなものではないか
私達は知らず識らずそこに近づいていく
座禅の代わりに、踏む六歩
禅的BBOY思考法